LOGINその夜。
グラスオース号は王都アランクルスの近海に停泊していた。
ウミとアイギスが出港させたのである。
空には黄色い三日月が浮かんでいる。まるで弓のような形だとウミは思った。ちぎれちぎれの薄い雲が流れている。ちぎれた綿菓子みたいだ。黒い海を、月明かりだけがほんのりと照らしていた。時折魚がぴちと跳ねて、ちゃぷんと音を立てている。七月の夜風は少しだけ冷たかった。空気は潮の香りに満ちている。
ウミとアイギスは今、釣りをしていた。この十数日の間にギルドメンバーの全員が釣りシステムを開放させている。
キャルル丸もいて、興味津々に見つめていた。
トビウオのHPを回復させるためだった。何でも、HPが全回復すると素敵なプレゼントをくれるらしい。なので、ウミとアイギスは毎晩、二時間だけ釣りをすることにしていた。
ちなみに、NPCの操舵士のおやじさんは24時間営業である。
トビウオはキャルル丸の足元で丸くなっていた。
配信はしていない。
い
翌日の早朝。 電話の音で真帆は目を覚ます。隣にはまだ眠っているユウマの気配があった。 カーテンの向こうはまだほの暗い。 けだるい眠気をそのままに、彼女は枕元のスマホを手に取る。 母からだった。(何かしら?) 通話マークを指で滑らせる。スマホを耳に当てた。「もしもし?」「もしもし、真帆か? 朝早くからごめんね」 聞き慣れた母親の声だった。苦労を重ねたせいで声が少ししわがれている。けれど、今はその声が一段と弱っているように響いた。 真帆はベッドに女の子座りをする。「どうしたの?」「実はね、相談があるんだけれど、いま、大丈夫かい?」「大丈夫だけれど、何? ふわあ」 思わずあくびが一つ出た。 母親は大切なことを伝えようとしているようで、声を絞り出すように説明した。「困ったことになってね。昨年、お父さんが、高梨さんにけがをさせただろう?」 緊張で心臓が跳ねた。 まさか、(賠償金のことなの?) 眠気にまどろんでいた頭が一気に冷えていく。「……うん」「実はね。高梨さん、京都の大病院で脳の再生医療を受けることになったんだと。……それがとっても難しい治療みたいでね。お母さんもよく分からないんだども、自由診療らしいんさ。だから、いっぱいお金がかかるんだって」「うん」「それでね。うちにはまだ、一千万円近くの支払い義務があるだろ?」「うん」「……高梨さんのご両親が、今すぐ払って欲しいって、言ってきてるんだわ」「……そっか」「こんなことあんたに相談しても、あんたを困らせるだけなのは分かってるんだ。あんたは今、ユウマちゃんと入籍したばかりで、おめでたい時期だからね。本当はこんな事を伝えるのも、すごく心苦しいんだ。だけど……秘密にしておく訳にもいかないだろ?」「そうね」「……はあ! 本当に困ったもんさ。真帆、いまお金あるかい?」 真帆は言うのをためらった。「……無いわ」「そうだよねえ。とにかく、そう言うことになったんだわ。お金の方は何とか色々と、お母さんたちで工面の当てを探してみるさ。……真帆、お前は心配せずに、ユウマちゃんと幸せに暮らしてね。とにかく、そういうことだから」「お母さんは元気なの?」「元気? あっはは。元気っちゃあ元気だよ。だけどこの頃は、いま言ったことで頭が痛いよ」「お父さんは?」「お父さんは相変わらず
その夜。 グラスオース号は王都アランクルスの近海に停泊していた。 ウミとアイギスが出港させたのである。 空には黄色い三日月が浮かんでいる。まるで弓のような形だとウミは思った。ちぎれちぎれの薄い雲が流れている。ちぎれた綿菓子みたいだ。黒い海を、月明かりだけがほんのりと照らしていた。時折魚がぴちと跳ねて、ちゃぷんと音を立てている。七月の夜風は少しだけ冷たかった。空気は潮の香りに満ちている。 ウミとアイギスは今、釣りをしていた。この十数日の間にギルドメンバーの全員が釣りシステムを開放させている。 キャルル丸もいて、興味津々に見つめていた。 トビウオのHPを回復させるためだった。何でも、HPが全回復すると素敵なプレゼントをくれるらしい。なので、ウミとアイギスは毎晩、二時間だけ釣りをすることにしていた。 ちなみに、NPCの操舵士のおやじさんは24時間営業である。 トビウオはキャルル丸の足元で丸くなっていた。 配信はしていない。 いま、ウミの木の棒がキュッとしなる。両手がぐぐぐと重くなった。 ドキンと胸が高鳴った。(やったですぅ!)「アイちゃん、来ました!」「本当?」「これは大きいですぅ」「すごい!」「きゃるるぅっ」 ウミが木の棒に糸を一生懸命に巻く。やがて海から魚が顔を出した。ウミは夜目が利いた。うっすらとピンク色がかった大きな魚である。 ウミの右手首には腕力の腕輪がはまっている。魚をぐいぐいと引き上げた。やがて、釣り上げられた魚を両手で握る。魚がぴちぴちとしなった。アイギスとキャルル丸が目を丸くしていた。 強く握られすぎているせいか、魚は困った顔をしている。 ウミがニカッと笑い、口からチャーミングな八重歯を覗かせた。「やりました! 大物ですぅ!」「ウミちゃん、それ大きい」「きゃるるぅっ」 キャルル丸が嬉しそうに頬を緩めて、舌で口をべろりと舐めた。「えへへー」
カーペットも、カーテンやベッドの布団、枕カバーまでピンク色だった。 真帆は昔からピンクが大好きだった。 扉のそばにはプラスチックのタンスが三つ。その隣にはコンパクトな物干しが四つある。オシャレのためのスタンドミラーも備えた。ユウマが勉強するための小さな学習机と椅子も買った。 よーし、(素敵な部屋になったわね) この間、ホームセンターからピンク色の日々草を買ってきた。いま、ベランダのプランターに三つ植えてある。春から秋まで咲いてくれる花持ちの良い花であり、ユウマと二人で選んだのだった。可憐な花が夜風にそよそよと揺れている。 あれから、十数日が経過していた。 無事にアパートを借りることに成功し、入籍もした。 その際、二人の両親には電話で報告をした。今度、親族顔合わせをすることになっている。日取りはまだ決まっていない。 ゲーム内では、真帆たちは王都アランクルスに到着している。バフ料理や服を、作っては売る作業に明け暮れている。ウミを取り戻すために使い果たしたヴァルをまた貯めるためだった。いま、だいぶ貯まってきていた。 本当は、料理や釣り、爆弾や服の制作など、隠されたシステム情報を売ればぼろ儲けできる。 だが、それをすることをユウマはメンバーに禁じていた。システム情報を売るということは、料理や服を売って稼いでいるプレイヤーからすれば営業妨害である。実行すれば、グラスオースは迷惑ギルドのレッテルを貼られかねない。 いま、真帆はアパートのキッチンで夕食を作っていた。横長のキッチンであり広々としている。片栗粉をまぶした豚肉を焼いており、焼け具合を見て、混ぜ合わせておいた調味料をかける。生姜焼きがすぐに出来上がった。スプーンでタレを味見する。(うん、こんな感じね)「ふんふんふん」 自然と鼻歌を口ずさんでいる。 良い気分だわ。 ユウマは部屋でのんびりとくつろいでいる。 真帆はだし巻き卵も焼いた。明日の朝の分も多めに作る。 トマトとキュウリを切って、レタスを千切る
ウミがこちらによたよたと走って来ていた。表情がぐしゃぐしゃに崩れている。 トウマが地面に膝をついて両手を開く。「ウミィイ!」「ご主人様ぁぁああ!」 瞬間、アイギスが横から飛び出した。ウミの身体をかっさらって、二人で地面に倒れる。「ウミちゃあぁぁああん!」「あ、アイちゃん!?」 ウミが驚いたように目を見開いた。 アイギスのモフモフとした尻尾が激しくぶんぶんと揺れていた。ウミの胸に顔をこすりつけて泣き叫ぶ。「ウミちゃあぁぁぁぁああああん!」「あ、アイちゃん、会いたかったですよぉ!」「ウミちゃんがいないとダメだもん! 僕、もう耐えられないもん!」「大丈夫ですよ、アイちゃん。ウミは、ウミはここにいますですよ?」 ウミがあやすように声をかけた。背中をさすってあげる。 アイギスが身体を巻き付かせる。「ずっと、ずっと、会いたかったんだもん」「私も、アイちゃんに会いたかったですよ」「いっぱい、いっぱい甘えないと、気が済まないもん!」「あはは。いっぱい甘えていいですよ」「ウミちゃあぁぁああん!」「よしよし、アイちゃん、よしよし」 アイギスの頭をウミが一生懸命に撫でている。 ジャンクアイランドの木々の開けた地面の上だった。空からは太陽の光が照らしている。いま西日になってきていた。涼やかな風が吹いて木の葉がさらさらと音を立てている。だけど乗り物や使い魔の死骸の山の景色は、あまり気持ちの良いものではなかった。配信不可エリアであり、ドローンは無い。 トウマは両手を開いたまま、ちょっと肩透かしをくらった気分だった。目の前ではアイギスとウミが再会の喜びを分かち合っている。 トウマは両手を下ろして立ち上がった。ふうとため息をつく。ベルフラウがトウマの隣に並び、むふと笑った。意味ありげにウインクする。 トウマは腕組みをしつつ、アイギスとウミの様子を見守った。 アイギスは尻尾の振動がお
――最高級、蘇生クエスト、たった一人でウミを倒す ジャンクアイランド。 その島の、木々が開けた地面の上だった。 辺りを包んでいた濃い霧は消えている。木の葉の隙間からは太陽の光が差し込んでいた。風に揺られて葉っぱが音を立てている。遠くには山が見えた。山? いや違う。武器や服、乗り物や使い魔たちの死骸が山となっているのだった。腕や足のちぎれた姿がなんとも痛々しい。その下の地面にはポーションの空き瓶が転がっていた。 少し離れたところには白い着ぐるみ姿のウミがいて、左手を腰に当てている。右手の剣で地面を突いていた。挑戦者を待っているようだ。 トウマたちは顔を向け合って話し合った。 「みんな、俺が行く」とトウマ。 「あたしが行くわ」とベルフラウ。 「僕がやる!」とアイギス。 三人が立候補していた。 トウマは小刻みに首を振って、懇願するように声を絞り出した。 「ベルフラウ、アイ、ここは俺にやらせて欲しい」 「ダーリン、大丈夫なの? ウミちゃん、強いわよ?」 ベルフラウが心配そうな目つきでつぶやいた。 アイギスがぶんぶんと首を振った。 「僕がやる!」 その瞳には、絶対に自分が救い出すのだという決意が宿っている。 トウマはアイギスにゆっくりと歩み寄り、その肩に両手を置いた。 「アイ、頼む。俺にやらせてくれ」 「ダメ!」 「アイ。俺にウミを、迎えに行かせて欲しい」 「ダメ!」 「……頼む」 トウマの顔に苦渋がにじむ。 晴恋が助け船を出した。 「アイ。だんちょはウミちゃんの主人だから、ここは任せよう?」 「でも、負けたらどうするの!?」 アイギスの耳が怒ったようにピンと立っていた。 トウマはその場に両足をつく。頭を下げた。 「頼む……アイ。必ずウミを連れ帰ってくる」 「……大丈夫なの?」 「必ず勝つ」 「……じゃあ、分かった」 「ありがとう」 トウマは立ち上がった。左手を掲げる。 「みんな、行ってくる!」 「トウマさん、ファイトさ」とニキ。 「きゃるるぅっ」 「ダーリン、勝ってね」とベルフラウ。 「だんちょ、負けちゃダメだよ」と晴恋。 トウマがブラウンのステッキを両手に構えて、ウミの元へと歩み寄った。 ウミの顔つきが険しくなる。警戒したように眉にしわを寄せた。 「ご主
ジャンクアイランドに船が着岸する。 島には、ガラクタが山のように積み上げられている。ボロボロになった武器や服、手や足のちぎれた使い魔や乗り物、戦車やロボットまであった。まるでゴミの山である。このゲームではロボットを仲間にできるのだろうか? そんな疑問がトウマの脳裏には浮かんだ。 小さな島だった。島は濃い霧に包まれている。空中を飛んでいた配信用ドローンが透明になって消えた。どうやらここは配信不可エリアのようだ。 着岸すると、操舵士のおやじさんが錨を海に降ろした。 みんなで輪になって、それぞれに適したバフ料理を食べていた。島に行けば戦闘が多いのかもしれない。準備は入念にするべきだった。 魚介ラーメンをすすりつつ、トウマが口を開く。「みんな、ここからは用心してかかってくれ」「本当にウミちゃんがいるのかしら?」 ベルフラウが疑問そうに言って、カレーライスのカツをむしゃむしゃとかじった。 アイギスの鼻がひくひくと動く。「いる! かすかだけど、ウミちゃんの匂いがする」「アイ、分かるの?」 晴恋が聞いた。 アイギスがこくりと頷く。 トウマがみんなに視線を配る。「みんな、何としてでもウミを見つけるぞ」「当たり前!」 アイギスが興奮したように鼻息を荒くしていた。 食事を終える。 船にはタラップがあった。それをつたって地面へと降りる。トウマとベルフラウを先頭に島の内部を進んだ。だけど霧が濃い。モヤモヤとしており、3m先が見えなかった。何が起こっても良いように、みんなが武器を手に持っていた。 ドンと音がした。 ――蘇生クエスト、ウミの6つのクイズに全て正解する 頭上の表示を見て、トウマが顔を険しくする。「何だ?」「クイズに答えるって?」 ベルフラウが首をかしげている。 その時だ。 前方に光の柱が立った。光の柱の中から、小悪魔のような角と翼を生や
ついに邪蛇狩りが始まった。 満天の空の下。山の上の地面の土は硬く、背の低い雑草が絨毯のように生えている。トウマとウミは、大きな岩の後ろに隠れて山頂の様子を見守っていた。今までずっと登山して来たのだ。 ちなみに先ほど夕食を食べた。昼と同じカレーライスである。もう飽きた。 山頂にはキャンプファイヤーが焚かれているようで、その煙がモクモクと上がっている。炎の灯りに照らされて、人々の戦う様子がよく見えた。 邪蛇、グランツエル。そいつは紫色に輝く肌をした大蛇であり、電車一両ぶんほどのサイズがありそうだ。まるで龍のように美しい。右に左にうねって地面を這い、人々に襲いかかる。 人々の先頭にいる
森の道へと入った。 木の葉からこぼれる太陽の日ざし。茶色い小鳥が木枝から飛び立った。落ち葉の多い地面。空気は澄んでおり、森林浴にはもってこいだ。 森の奥へとウミはどこまでも逃げて行く。その背中をテラーウルフが追いかける。そのまた後ろをトウマが追跡するという構図だ。 可愛いは正義勢:ウミちゃん逃げて! 古参ニキ:死んだと思ったらまだ生きてる。 開けた大地にたどり着くとトウマは唱えた。安っぽい木の杖を構える。 「グラヴィティライン」 トウマの杖から青黒いロープが伸びた。テラーウルフの足に巻き付いて拘束する。 「がうばうっ!」 走っていたテラーウルフは前のめりに
草原の中心に、黒い渦を巻いてテラーウルフが出現する。残忍な顔つき、漆黒の体毛、巨大な白い牙。その圧倒的な存在感に、トウマの背筋から冷や汗が伝った。 テラーウルフが高々と吠える。 「ガアルルルゥゥッ!」 ドンと音がして空中に文字が表示された。 ――クエスト、テラーウルフの撃破 「ボスだ、逃げろ!」「俺は死ぬ訳に行かないんだー!」「私はせっかくレベル3に上がったんだからね!」 ウミがすぐに反応した。その表情は恐怖に彩られており、モフモフとした尻尾がピンと立っている。勢いよくこちらを振り向いた。 「ご主人様、どうすれば!?」「ウミ、動くな」 トウマは状況を冷静に分析する
村の北出口から外へと出る。 草原地帯があった。ところどころには岩がある。そこにいる魔物はフェアウルフの一種類。灰色の毛並みをした狼であり鋭い牙を誇っている。大型犬ほどのサイズだ。 狩りをしているプレイヤー数は多く、必死の形相でモンスターと戦っていた。 「俺の、俺の宿代をー!」「私はまだ朝食も食べていないんだからね!」「や、やべえやべえ、こいつら強えぞ!」 トウマは顔をしかめた。このゲームのプレイヤーはみんな無職なのだろうか? 分からない。(そう言えば、俺も朝食を食っていない) ドンと音がして、頭上に文字が表示された。 ――クエスト、フェアウルフの撃破 隣にいるウミ